なんのために
♪なーつの終ーわ〜り〜…
それはそれとして、雨ふり始業式。
や っ と な つ や す み が お わ っ たーー!!!!!
という解放感もつかの間、お昼には帰ってきちゃうので、
朝ごはん残りのソーセージ、冷凍庫のドライトマトで炊き込みごはん。
試作残りのモッツァレラの切れ端も放り込んで。
炒飯より簡単でおいしいです。鍋直火炊きだと30分足らず。
さて。
いろいろ思うことがあり、
この後、ごはんやお酒に料理に関係ない長ーいつぶやきです。
前回の更新後、友達から
「なんで上手な写真を撮りたいの?
料理家として、綺麗な写真を撮れることに何の意味が?」
と聞かれました。
もっともな質問。たしかに、なんのために?
毎日のようにごはん撮ってるからね、
もっときれいに、いきいきした感じに撮れれば気持ちいいだろうと思って…。
と返事しようとして、あれっちがうかも、と気がつきました。
“料理家として”?
本当にやるべきことって、
なんとなく素敵〜な写真が撮れるようになることよりも、
そんな時間と余力があるなら、
どんな写真であっても、うわーーっすごいおいしそう!
って直球で伝わるレシピをもっと作ることじゃないの?
って喝入れられてるんだよな、と。
Blogを始めた頃、もう10年近く前、
食卓で写真を撮ると夫にたしなめられた。
行儀が悪い、撮影するための料理じゃないでしょうと。
あの頃、家のごはんは家族や友達とだけ共有するもので、
発表するためのものじゃありませんでした。
それでも私は発表し続けた。なんのために?
とにかく不特定多数の人に、褒められたい一心で。
当時、毎日熱心にやっていたのが
ごはんを作る、食べることだけだったから。
自己表現をして反応があることがただうれしくて、
アイディアもどんどんわいてきたっけ。
それが仕事につながったのは、本当に幸せなこと。
褒められたい欲も無駄じゃなかった。
でも、独立してまる3年、
料理教室を始めてからはもう5年。
あの頃とは状況が変わって、
料理との関わり方も変わったのに、
まだ同じように褒められたがっているなんて。
でも、そもそも、なぜそんなに褒められたいのか?
それは。
世の中には、プロじゃなくても
料理上手でセンスも抜群な、“芯”のありそうな人がわんさかいる。
みんな軽やかに効果的に、素敵な暮らしをアピールしている。
SNS全盛のいま、
それを毎日目の当たりにするようになって、焦っているから。
曲がりなりにもプロになったけれど、私ってイマイチ芯がないような。
気楽なちょっとしたアイディアは持っていても、
こんなんでいいのかな…。
この間、初めてお会いした方が
「いまって、みんな自分にしか興味がないからね」
とおっしゃって、なるほどまったくだと思いました。
他人の様子をちらっと見て、
えーーっ自分は? 自分はどのへん??と焦る。
絶対的な自分がないから相対評価に振り回される。
こういう不安や焦りが、
「もっと褒められて安心したい」→「写真うまくなりたい」につながって。
えっ、そっち? 根本からしてちがうでしょ、
って友達には見抜かれちゃっただろうな。
うーん、恥ずかしい。
結局、できることといえば、
そんな視野の狭い焦りや不安を吹き飛ばすほど、
もっとせっせと料理して、
ほんとにおいしいのこれーー!!!っていう必然的な組み合わせ考えたり、
芯がないならないなりに、小さなアイディアでも100個出すとか、
ささやかでも、見てくれてる人に役立つことを発信しつづけるしかないのですよね。
そんな積み重ねが、いずれ自分の芯になると信じて。
写真の腕も上げたいけれど、
とりあえず今は、明日の撮影レシピを再度おさらい。
気を散らさず、じっくり根菜焼いてみます。
はあ、雨のせいもあって、思い詰めすぎてしまった。
読んでいただいた方にはなんの足しにもならなかろう
酔っぱらいのクダ巻きみたいな長い文章、失礼いたしました。
40にして惑わずどころか、とうに越えてこのていたらくですが、
なんのためになんのために…!とこのところずっと考えてたこと、
こうして書いたら整理できたみたい。
おつきあいありがとうございました。